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2019.11.05

民間英語試験導入見送りにみる手段の目的化

大学入学共通テストへの英語民間試験導入がドタンバで見送られたというニュースがありました。

受験機会の公平性と成績評価の客観性の観点から、当初より問題点が指摘されていたにもかかわらず、ギリギリまで受験生を巻き込んで導入に突き進んできてしまいました。

文部科学省のこうした行動の背景について、11月2日付けの日本経済新聞朝刊では以下のように報じています。


同省が実施にこだわったのは、民間試験が大学入試改革の残り少ない目玉だったからだ。政府の教育再生実行会議や中央教育審議会が提言した項目のうち、共通試験の年複数回実施や、高校生の基礎学力テストの導入構想は高校側の反対などで後退。「英語民間試験と共通テストでの記述式問題の導入くらいしか残っていない」(同省幹部)状態で、民間試験の見送りは自らのメンツがつぶれることを意味した。


私がセミナーなどでお話している、計画の実行中にありがちな「手段の目的化」が起こったのではないでしょうか。

本来は大学入試の改革が目的だったはずです。
日本の将来にとって必要な教育とは何か。そのために子どもたちが学ぶべきものは何か。であれば、試験はどのようなものであるべきか、が議論されたはずです。さらに試験であれば、当然のことながらその方法において機会の公平性と評価の客観性が担保されているかどうかも当然のことながら議論されなければならなかったはずです。

しかしながら、試験方法として当然備わっていなければならない公平性と客観性に疑問を持つ声が当初よリ現場から噴出していたにもかかわらず、試験実施の直前まで突き進んでしまったのは、文科省が「民間試験導入ありき」で突き進んできたとの批判を受けても仕方がないのではないでしょうか。

まさに「手段の目的化」ですね。