2021.03.05
上杉鷹山の危機管理
上杉鷹山というと「改革」の人として紹介されますが、どんな人かほとんど知りませんでした。藩士なのかと思っていたのですが、米沢藩9代目の藩主だったんですね。
しかも、本人は九州は日向の高鍋藩6代藩主の次男として生まれ、母方の祖母が米沢藩4代藩主の娘だったことが縁で、10歳のときに米沢藩8代藩主重定の養子となります。
そして、17歳のときに第9代米沢藩主に。
当時の米沢藩の財政は危機的な状況を呈しており、藩の財政改革が鷹山に託されました。
期待されたとおり、若くして藩主となった上杉鷹山は次々と改革の手を打ちます。
しかしながら、米沢藩は藩祖を平安時代後期にまで遡れる名家。代々仕える重臣たちの中には、小藩の次男坊から養子にやってきた鷹山を軽くみる人たちもおり、改革に大反対し、鷹山に隠居を迫る者たちが出てきました。
詳細は省きますが、この反対勢力を排除することで、米沢藩はさらなる改革に突き進みます。
その重要な改革の一つが、藩士たちへの収支の公開です。
それまでの改革で鷹山は、収支を明らかにした上で、予算制度を取り入れてきました。
この反対勢力の騒動を経て、さらに一歩改革を進めて、収支を藩士たちに公開したのです。
ここで取り上げたいのは、会社の数字を社員にオープンにするかどうか、といったことではありません。
危機に際して、危機感をいかに共有するか。
これです。
組織一丸となって危機を乗り切らなければならないとき、危機感が全員に共有されていなければなりません。
上杉鷹山にとっての危機は、破綻しかけている藩財政でした。
だから収支を藩士に公開したのでしょう。
組織が危機に見舞われたとき、どうやってメンバーと危機感を共有するか。
大切で難しいテーマですね。