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2022.04.20

徳川家康は開国主義だった!?

歴史、好きです。
テレビも歴史モノの番組が好きです。
読書も歴史小説に偏りがちです。

江戸時代、日本は鎖国していましたよね。
徳川家康が鎖国をしたと思っている方も
多いかと思います。

ところが、
先日の歴史教養TV番組によれば、
徳川家康は本来、開国主義だった
というではありませんか!

江戸に幕府を開いたばかりの徳川家康は
日本に漂着したウイリアム・アダムス
(三浦按針)を外交顧問として重用し、
交易を求めて来日する西欧諸国と
どんどん通商関係を開いていったんだ
そうです。

なんと家康は開国主義だった!

ところがある日、家康は戦慄します。
キリスト教が徳川の家臣の中にも
広まっていたからです。

なぜ家康はキリスト教を恐れたのか?

歴史上、また現代も、
独裁者は宗教を排除しようとします。

なぜなら、
 オレか、神か。
と選択を迫ったとき、
主君、すなわち徳川将軍を選ばず、
神を選ぶ者がいては困るからです。

家康はかつて、
人質生活から開放され、父祖の伝来の地、
三河の領主に晴れてなったばかりの頃、
家臣までが加わって家康を攻めるという
一向宗の凄まじい反乱に翻弄された経験
があります。

江戸幕府は、
徳川家を中心とする独裁制です。

ゆるぎない強固な政治体制を築いてから
秀忠に渡したい家康としては、
かつて苦しめられた一向一揆の経験から
キリスト教に危機感を抱いたのでしょう。

ついに、キリスト教を禁止します。

その結果、

貿易とキリスト教の布教を不可分と
考えていたスペインとポルトガルは
宣教師の国外退去命令とともに
日本を去らざるを得ませんでした。

一方で、東インド会社を設立し、
あくまでもビジネスとしてやって来ていた
オランダとイギリスは日本との貿易を続けました。

当時はまだ、日本国内どこでも
寄港することができたそうです。

家康はそこまでで亡くなっています。
鎖国はしていません。
キリスト教を禁止しただけなんです。

では、なぜ、家康の死後、
鎖国へと進んで行ったのでしょうか。

番組の解説を聞くと、
規模の大小を問わず、現在の企業でも
よくみかける組織の習性が関わっているようです。

次の機会にご紹介しましょう。


牧野でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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