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2025.09.23

「始末」にこそ、商いの心が宿る――半兵衛麩に学ぶ

「新品を下ろす時が始まりで、捨てる時が終わり」。京都の老舗・半兵衛麩に伝わるこの言葉は、単なる節約の教えではありません。モノの使い切り方を通して、商いの姿勢や人の在り方まで問いかけてきます。変えることが称賛されやすい時代だからこそ、あえて「捨てない」という判断に、経営の本質が隠れているのではないでしょうか。

目次

始末という言葉に込められた意味
日常のしつけが理念になる瞬間
「新しい方がいい」という思考の落とし穴
老舗が守り続けてきたもの
経営判断としての「まだ使えるか」

始末という言葉に込められた意味

京都の老舗・半兵衛麩の十一代目当主、**玉置辰次**さんが語っていた話に、強く心を引かれました。「新品を下ろす時が始まりで、捨てる時が終わり。だから始末と言うんや」。幼い頃、父親と銭湯に行った際、洗い場で聞かされた言葉だそうです。
新しい手拭いを気持ちよく使うだけでは終わらない。汚れれば縫って雑巾にし、さらに油拭きに使い、最後は火種として風呂を焚く。そこまで使い切って初めて「終わり」になる。この一連の流れに、始末という言葉の本来の意味が凝縮されています。

日常のしつけが理念になる瞬間

この話を読んで、私は建具職人だった父の姿を思い出しました。家で使い古したタオルを作業場へ持っていき、穴があき、ボロボロになるまで使い切っていたのです。特別な教訓を語られたわけではありませんが、その背中から「モノをどう扱うかは、人の姿勢そのものだ」と学んだ気がします。
半兵衛麩が三百年続いてきた背景にも、こうした何気ない日常の中で理念が伝えられてきた積み重ねがあるのだと思います。理念は掲げるものではなく、使い方や振る舞いとして見せ続けるものなのかもしれません。

「新しい方がいい」という思考の落とし穴

現代の経営環境では、「新しい」「効率的」という言葉が判断を後押しします。まだ使える設備や仕組みでも、「古いから」「時代遅れだから」と手放してしまう場面は少なくありません。もちろん変革が必要な場面もありますが、その判断が安易になっていないかは、一度立ち止まって考える余地があります。
変えること自体が目的化すると、本来守るべき価値まで一緒に捨ててしまう危うさがあると、私は考えています。

老舗が守り続けてきたもの

老舗とは、長く続いたこと自体が評価される存在ではありません。「長く続けるために、何を捨てずに守ってきたのか」。その選択の積み重ねにこそ価値があります。半兵衛麩の場合、それは始末の心であり、モノや人との関係を最後まで丁寧に扱う姿勢だったのでしょう。
効率や合理性だけでは測れない判断を、日々積み重ねてきた結果が、今の信頼につながっているのだと思います。

経営判断としての「まだ使えるか」

経営の現場では、「そろそろ変えるべきか」と迷う瞬間が何度も訪れます。そのとき、「新しい方がいいか」ではなく、「まだ使えるか」「まだ活かせないか」と問い直してみる。その一呼吸が、短期的な効率ではなく、長期的な信頼を選ぶ判断につながることもあります。
始末の心は、節約の話ではありません。モノの始まりから終わりまでを見届ける覚悟を、経営判断に持ち込めるかどうか。その姿勢が、会社の在り方を静かに形づくっていくのではないでしょうか。


公開・更新履歴
2025年9月23日:新規公開