お知らせ

2026.08.12

まずはこちらをご覧ください|伴走舎について

このページでお伝えすること

伴走舎は、社長と会社のことを一緒に考えます
社長が納得して決断し、前へ進むために
会社によって、考えることは違います──実際の仕事から
なぜ、この仕事をしているのか
伴走舎の経営理念
この理念は、どこから来たのか

伴走舎は、社長と会社のことを一緒に考えます

何かがおかしい。──でも、どこに問題があるのか分からない。
問題は見えている。──でも、どこから手をつければいいのか分からない。
変えなければならない。──でも、長く続けてきたことを簡単には変えられない。

会社を経営していると、知識や経験だけでは答えを出せないことがあります。とくに、長く続いてきた会社には、これまで積み重ねてきたものがあります。

守らなければならないものがある。一方で、時代に合わせて変えなければならないものもある。何を残し、何を変えるのか。これから、どんな会社にしていくのか。

その答えは、どこかに用意されているものではありません。

そんなとき、社長と会社のことを一緒に考えるのが、伴走舎です。

目の前に見えている問題だけではなく、その奥にあるものまで考える。会社がこれまで積み重ねてきたもの、そこで働く人たちの思い、そして、これからも大切にしたいもの。それらをぜんぶ受け止めて、この会社にとって本当に必要なことは何なのかを考えていきます。

そして、考えるだけでは終わりません。社長が納得して決断したことを、会社の中で実行できる形にする。実行してみて分かったことがあれば、また考える。必要なら、やり方を変える。

一つの問題が解決すれば、次に考えるべきことが見えてきます。扱うテーマも、使う手段も、そのときどきで変わります。

それでも、していることは変わりません。

社長と会社のことを、一緒に考え続ける。

伴走舎は、社長が会社を背負い、迷い、考え、決断していく、そのそばで、会社の未来をともに考える仕事をしています。

社長が納得して決断し、前へ進むために

伴走舎は、一般論をそのまま会社に当てはめる仕事をしていません。同じように見える問題でも、会社が違えば、その背景は違います。これまで歩んできた歴史も、そこで働く人も、大切にしてきたことも違います。

だから、まず、社長の話を聴きます。その思いや悩みも、受け止めます。必要であれば、現場を見ます。社員や役員の話も聴きます。会社が歩んできた歴史や、大切にしている価値観にも触れていきます。

会社の中に入り込まなければ、見えないことがある。一方で、会社の中にいる人には、当たり前になっていて見えないこともあります。少しずつ、その会社の内側に身を置きながら、しかも第三者だからこそ見える立ち位置を見失わない。その両方が必要だと考えています。

そうして、
「この会社の本当の問題は何なのか。」
「この会社にとって、いま、そして将来のために必要なことは何なのか。」
を、社長と一緒に考えていきます。

考えを整理し、問いを投げ、必要であれば意見も伝える。もちろん、社長と考えが異なれば、違うと伝えます。

そして、最後に決めるのは社長です。経営するのは、社長だから。

決めたら、実行に移す。その変化を確かめながら、また一緒に考える。

社長が自分の会社のことを考え抜き、自ら納得して決断し、前へ進んでいけるように。

伴走舎が社長のそばにいるのは、そのためです。

会社によって、考えることは違います──実際の仕事から

ある老舗企業の社長から相談を受けたとき、最初から問題がはっきりしていたわけではありません。社長自身、「ありたい姿が整理できていない」と感じていました。さらに、「長年この会社にいる自分には、見えないものが多すぎる」という言葉もありました。

そこで、役員や部長、一人ひとりの話を聴きました。それぞれの立場から見えている会社の姿を集めていくと、少しずつ、会社で起きていることが見えてきました。

見えてきた現実を、社長と一緒に考える。その中には、社長にとって耳の痛いこともありました。それでも社長は、現実から目をそらさず、自分たちがつくってきた会社として受け止めました。そこから、長年続いてきた管理の仕組みを変える決断をしたのです。

新しい仕組みをつくって終わりではありません。実際に動かしてみて、何が起きたのかを振り返る。うまくいかなかったことがあれば、なぜなのかを考え、やり方を変える。現在も、その繰り返しを社長と続けています。

ある士業法人では、個人事務所を法人化して、組織として仕事をしていくことが求められていました。

法人化までの様々な作業をスケジュール管理しながら進める一方で、どんな組織にしていくのか描いていく。誰が何を担うのか。どこまで任せるのか。組織の中で起きていることを、どう共有するのか。そして、自分たちで問題を見つけ、考え、決めていける組織をどうつくるのか。

会議では、話していることをその場で整理し、全員で同じものを見ながら考えました。決まった方法があったわけではありません。必要になれば組織の形や仕事の分担、業務の進め方を変え、そのために必要ならデジタルも使いました。

組織が変われば、次に考えることが出てくる。実際に動かしてみれば、また新しい問題が見えてくる。そのたびに一緒に考え、会社に合う形をつくっていきました。

ある伝統工芸の会社とは、事業の立ち上げ期から約6年間、伴走しました。最初から、6年後の姿を描いていたわけではありません。事業を始めた頃と、軌道に乗った後では、考えなければならないことが違います。人が増えれば、また違うことを考えなければなりません。

経営者がものづくりに向き合う時間を、どうつくるのか。仕事を、誰に、どう任せていくのか。一緒に働く人たちが力を発揮できる組織を、どうつくっていくのか。その時々に目の前に現れたことを、一つずつ一緒に考えてきました。

やがて、経営者を支える人たちが育ちました。そして最後には、「もう、牧野さんに相談しなくても、私たちで話し合えば解決できる。」そう言ってもらえるところまで来ました。

伴走することそのものが、目的ではありません。その会社の人たちが、自分たちで考え、決め、前へ進んでいけるようになる。そこまでたどり着けば、伴走舎がそばにいる必要はなくなります。

会社によって、歩んできた歴史も、そこで働く人も、社長が背負っているものも違います。だから、何を考えなければならないのかも、使う手段も、たどり着く答えも違います。

伴走舎には、あらかじめ用意された答えはありません。その会社だからこその答えを、社長と一緒に考えていきます。

なぜ、この仕事をしているのか

世の中には、これから先も大切に受け継がれてほしい仕事があります。

人の暮らしを支える仕事。長い時間をかけて培われてきた技術や、そこに息づく文化。新しい技術や発想によって、これからの社会をつくっていく仕事。

そうした仕事は、誰かが担い、続けていかなければ、未来へは残りません。

どれほど優れた技術や文化があっても、それを担う人や会社が続かなければ、受け継いでいくことはできない。だから伴走舎は、大切な仕事が事業として続いていくことに関わりたいと考えています。

そして、事業を続けていくためには、決めなければならないことがあります。

何を守り、何を変えるのか。どこへ向かうのか。ときには、これまで続けてきたことをやめる決断もしなければなりません。

その責任を引き受けるのが、経営者です。

経営者の決断の先には、そこで働く人たちがいます。その仕事を必要としている人たちがいます。そして、その会社が担っている仕事の未来があります。

だから伴走舎は、会社を背負い、その責任から逃げずに、自分が決めるべきことを決めようとする経営者のそばにいたい。

迷うこともある。すぐには答えが出ないこともある。それでも、その人が納得して決断し、自分たちが担っている仕事を未来へつないでいけるように、ともに考え続けたいと思っています。

社会にとって大切な営みが、未来へ受け継がれていくこと。

そのために、伴走舎はこの仕事をしています。

そして、この思いを言葉にしたものが、伴走舎の経営理念です。

伴走舎の経営理念

伴走舎がこの仕事を通じて担いたいこと。その先に、実現したい未来。そして、仕事をするうえで大切にすること。それを言葉にしたものが、伴走舎の経営理念です。

社会にとって大切な営みを担う人たちが、その使命を果たし続けられるよう支える。

私たちが暮らす日本には、普段は目にすることがなくても、暮らしや社会を支え、受け継がれてきた多くの仕事があります。そこには、それを担う人たちがいます。

そうした人たちが、自ら引き受けた使命を果たし続けられるよう支えることが、伴走舎の役割です。

社会にとって大切な営みが、未来へ受け継がれること。

人の暮らしを支える仕事も、長い時間をかけて培われてきた技術も、そこに息づく文化も、誰かが受け継いでいかなければ残りません。

大切な営みが、次の世代へ、そのまた次の世代へと受け継がれていく。
伴走舎は、そんな未来をめざしています。

誠実(Integrity)

信頼に値する人であり続けること

自らの信念と行動に一貫性を持ち、果たすべき責任を果たす。相手に対しても、自分自身に対しても、真摯であることを大切にします。

道理

道理にかなっているかで判断する

そのときどきの事情にとらわれず、ものごとの筋を考える。迷ったときほどこの原則に立ち戻り、道理から外れないことを大切にします。

この理念は、どこから来たのか

伴走舎の経営理念を考えていくと、自分が大切にしているものの多くが、この仕事を始めるよりもずっと前から、自分の中にあったことに気づきます。

父は、木工建具の職人でした。自宅には仕事場があり、三人の職人を雇って、そのうち二人は住み込みでした。小学生の頃から仕事を手伝い、雨の日には仕事場が遊び場になりました。家にいれば、一日中、木を削ったり加工したりする音が聞こえてくる。いろいろな職人さんが出入りし、よく遊んでもらいました。私にとって、商売をする家で暮らすことは日常そのものでした。

父は職人であると同時に、経営者でもありました。夜遅くまで働いていましたが、仕事が忙しいとか、疲れたとか、愚痴を聞いた記憶はありません。借金を好まず、借りても返済は短期間。支払いは手形を切らず、小切手で行っていました。一代で店を大きくし、父が亡くなったときには、何人もの取引先の方々から「これだけの所帯にしたのに、誰か継がないのか」と言われました。

人との付き合いを大切にする人でもありました。取引先とは仕事だけでなく、家族ぐるみで付き合うこともありました。お中元やお歳暮をはじめ、仕事上の義理を欠くことを嫌い、人さまに迷惑をかけるようなことにはとても厳しい人でした。また、養護施設への支援も長年続けていました。その多くは、家族にも話していなかったようです。

父の仕事は、日本建築の建具でした。茶道、華道、書道、日本舞踊にも長く取り組み、毎朝、神棚に手を合わせる人でもありました。

年末になると、背中合わせにある本家で餅をつき、小さな鏡餅をたくさんつくります。正月には、それを三角に折った和紙の上に置き、仕事場にある機械や作業台、応接セット、トラックまで、商売に関わるもの一つひとつに供えます。餅つきをしなくなってからも、小さな鏡餅をたくさん注文して、それを続けていました。

子どもの私にも、仕事に使う機械や道具にも神様がいて、大切にしなければならないのだということは、自然と伝わってきました。本家への挨拶や墓参り、お盆の迎え火と送り火も含め、そうしたものは特別な教えではなく、ごく普通の暮らしの一部でした。

父から、こう生きなさいと教えられた記憶はありません。そもそも父は、子どもたちとあまり会話をする人ではありません。けれども、仕事に向き合うこと、人との付き合いを大切にすること、やるべきことをきちんとすること、昔から受け継がれてきたものを大切にすること。父が言葉で教えることのなかったそうしたものを、私は父の姿と、商売をする家の日常から受け取っていたのだと思います。

社会人になったばかりの頃、会社にかかってきた電話に応対していると、先輩から「なぜ新人なのに、仕事の電話にそんなに慣れているのか」と驚かれたことがあります。自分では、何が特別なのか分かりませんでした。考えてみれば、家の電話はほとんど商売のためのもので、小さい頃から父や母が取引先やお客さんと話すのを聞き続けていました。知らないうちに身についていたのだと思います。

仕事の仕方にも、父から受け継いだものがあります。データを分析したり、資料をつくるときも、細かいところまできちんと仕上げ、やり方にも毎回少しずつ工夫を加えていく。そういう作業そのものが、昔から好きでした。職人だった父とはまったく違う仕事を選びましたが、仕事に向き合う姿勢には、どこか職人的なところがあります。

そして、社会人として30年以上仕事をするなかで、自分自身が大切にしているものも、少しずつはっきりしていきました。

その一つが「誠実」です。

コンサルティング会社にいた頃、転職者の採用面接をしていたとき、応募者から「コンサルタントとして仕事をするうえで大切にしていることは何ですか」と聞かれ、素直に「誠実」と答えたことがあります。当時は、なぜその言葉が出てきたのか、自分でも深く考えてはいませんでした。

コンサルティング会社にいた頃から、その後の会社員時代まで、20年以上にわたってリーダーという仕事をしてきました。プロジェクトを率い、組織を任され、人と一緒に成果を出していく。その中で、リーダーとしてどう仕事をするのかを、試行錯誤しながら身につけてきました。

その後、ドラッカーがリーダーシップについて書いた文章に出会いました。

リーダーとは、仕事であること。責任であること。そして、信頼を得られること。

そこに書かれていたことは、自分が長い時間をかけ、苦労しながら身につけてきたことと重なっていました。自分がやってきたことは間違っていなかった。答え合わせをしてもらったような気がしました。

その中でも強く残ったのが、三つ目の「信頼を得られること」でした。

「信頼を得ること」ではなく、「信頼を得られること」。

その人を好きかどうかでも、考えに同意するかどうかでもない。リーダーが語っていることが、その人の本当の信念なのだと確信できること。そのためには、その人が掲げる信念と、実際の行動が一致していなければならない。

それを支えるのが「誠実(Integrity)」と一貫性でした。

実際にさまざまな人と仕事をするなかで、その意味を何度も考えるようになりました。

立派な理念や考えを掲げることはできます。そのとおりに発言することもできます。しかし、本当に何を大切にしているのかは、その人の判断や行動に表れます。掲げている理念と行動が矛盾していれば、やがて周囲にもそれが伝わります。

一方で、厳しい現実の中で責任を引き受け、自らの信念に従って行動し続けてきた人の言葉には、まったく違う重みを感じることがあります。

言葉の重さは、責任を引き受ける覚悟から生まれる。

自らの信念と行動に一貫性を持ち、果たすべき責任を引き受ける。相手に対しても、自分自身に対しても、真摯である。

そうして「誠実」は、私にとって、**信頼に値する人であり続けること**という意味を持つようになりました。

もう一つが「道理」です。

子どもの頃から、筋の通らないことには強く反発するところがありました。

小学校二年生のとき、担任の先生が生徒によって態度を大きく変えることに納得できず、そのことを作文に書いたことがあります。先生はその作文をクラス全員の前で読み上げ、「みんなもそう思う?」と問いかけました。私は腹を立て、その場で立ち上がって先生に食ってかかりました。

担任という立場にあるなら、子どもたちを公平に扱うべきだ。それをしていないのはおかしい。当時の私がそこまで言葉にして考えていたわけではありませんが、許せなかったのは、そういうことだったのだと思います。

社会人になってからも、その性格はあまり変わりませんでした。

三十代の頃、ある企業のシステム導入で、必要な機器やソフトウェアをコンペで選定したことがあります。選定方法を決め、各社から提案を受け、評価を終え、いよいよ決定するという段階になって、選定を任されていた部署の課長が「公正にやりたい。ただ、うちは昔からA社と付き合ってきたので、A社でないと困る」と言い出しました。

その部署がA社を選びたい事情があることは、私にも分かっていました。それなら、最初から関係者と調整すればいい。ところが、公正なコンペという形をとりながら、最後になって「A社でなければ困る」と言う。そのやり方が、どうしても許せませんでした。

「何が公正にやりたいですか。だったらコンペなんかやらずにA社にすればよかったじゃないですか」

私は、その場で声を荒らげました。

その後、この選定はやり直され、今度は関係する部門も加わって、改めて選定することになりました。

若い頃の私は、何が正しくて、何が間違っているのかを、今よりずっとはっきり分けて考えていたように思います。自分が正しいと思えば、相手が誰であっても、おかしいものはおかしいと言う。そこには、「正義」という言葉のほうが近かったのかもしれません。

けれども、さまざまな仕事を経験し、組織や経営に関わるなかで、正しいか間違っているかだけでは決められないことにも数多く直面してきました。

人の判断や行動には、その人の立場や役割、それまでの経緯などが影響を与えます。組織にも、歴史があり、文化があり、そこで築かれてきた関係があり、置かれている環境があります。一見するとおかしく見えることにも、さまざまな背景があります。

だから、目の前で起きていることだけを見て、正しい、間違っていると判断するのではなく、なぜそうなっているのかまで考えるようになりました。同時に、自分が正しいと思っているときほど、自分には見えていないものがないかを考えることも必要だと思うようになりました。

ただ、背景があるからといって、すべてを受け入れるわけではありません。

さまざまな立場や背景を踏まえ、自分自身の見方にも問いを投げかける。そのうえで、どうすることが筋なのかを考える。

そうした経験を重ねる中で、若い頃の自分に近かった「正義」よりも、「道理」という言葉のほうが、いまの自分にはしっくりきます。

誰が正しいのかではなく、何が道理にかなっているのか。

それが、いまの私にとって、迷ったときに立ち戻る判断の拠り所になっています。