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内輪の言葉にご用心

内輪の言葉にご用心

KDDI が KDD と DDI という二つの会社が合併してできた会社だということ、若い方はご存知ですか?DDIは第二電信電話株式会社。京セラの稲盛和夫さんが創業した電話会社です。KDDは国際電信電話株式会社。国際電信電話株式会社法にもとづいて設立された特殊会社で、法規制で国際通信業務を独占していました。 かつてそのKDDの本支店では、窓口が混雑すると入り口に ただいま窓口が輻輳しております という札が掲げられたという話を新聞で読んだことがあります。 「輻輳」と書いて「ふくそう」と読みます。どういうことかわかります?通信やネットワークのエンジニアの方ならわかると思いますが… 「混み合う」ってことです。 回線が混み合うことを通信やネットワークの用語では「輻輳」と呼び、通信会社の人にとっては日常的に使う言葉なんです。だから「だだいま窓口が混み合っております」といえばいいところを、普段どおりに「ただいま窓口が輻輳しております」って書いちゃったんでしょうね。 こういう、内輪だけで日常的に使われている言葉をお客さんに対してそのまま使っちゃってることありません? お店の人や営業さんと話していて気になるときがあります。「それって内輪の言葉じゃないの?前後の文脈からだいたい分かるけど」 「だったら、いいじゃん」ってことになるかもしれませんが… 「その言葉の意味はなんだろう?」と考えている間は相手の話はほとんど耳に入ってきません。また、間違った意味で受け取っていたら、その先は相手の話を正しく理解していません。 自分の話をちゃんと聞いてもらおうと思ったら、内輪の言葉はやめたほうがいいですよね。

具体的に動けば…

具体的に動けば…

前回、相田みつをの やれなかったやらなかったどっちかな をご紹介しましたが、これは相田みつをの日めくり「にんげんだもの」の9日に載っています。 2005年の春頃でしょうか。東京のコンサルティング会社で働いていました。地方への移住を考えてはいましたが、何も行動できずズルズルと何年も経過していたんです。比較的なんでも話すちょっと年下の後輩二人と神楽坂の居酒屋で飲みながら、地方への移住を考えていることを他人に初めて打ち明けました。 二人と話していて結論めいたものが出たわけではありませんが「ちょっとトイレ行ってくる」と席を立ちました。店内を見回すと「なんか似たような紙がたくさん貼ってあるな」って感じで入ったトイレで目に飛び込んできたのが ともかく具体的に動いてみるんだね具体的に動けば具体的な答えが出るから相田みつを でした。このお店、相田みつをの日めくりをバラして店内のあちこちに貼っていたんです。 これを見て翌日、1998年に番号を交換してからは全く連絡していなかった携帯電話番号に電話したんです。当時は、新規契約は端末0円でMNPもない時代なので、電話番号を変えてしまう人が結構いて、つながるかどうかはダメ元でした。 でもですね、具体的に動いたら、具体的な答えが出て、沖縄への移住が具体的に動き出したんです。 それ以来、冒頭にご紹介したものと合わせて私の「座右の銘」みたいになってます。

やれなかったの?やらなかったの?

やれなかったの?やらなかったの?

前回のこのメルマガで書いた、上杉鷹山の危機管理。昨年の第1波が始まったときから次々と素早い経営判断を下し続けていて、「すごいなぁ」と尊敬している経営者さんからメールでご感想をいただきました。そのメールの最後に添えられた上杉鷹山のこの言葉。 為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり上杉鷹山 ガーン。。。今回のネタ用にとっておいたんですけど、先回りされてしまいました。(涙) 若い人のために、現代の話し言葉でいうならば、 やれば実現できるし、やらなきゃ実現できないよね、どんなことでも。つまり、実現できないのは、やらないからだよ。 といったところでしょうか。 私自身もこれまで、理由をいろいろとつけて「だからできなかったんだよ」と自分を納得させてきたことがたくさんあります。 そんな私をあざ笑うかのようなこの言葉。 やれなかったやらなかったどっちかな相田みつを いかがです?

上杉鷹山の危機管理

上杉鷹山の危機管理

上杉鷹山というと「改革」の人として紹介されますが、どんな人かほとんど知りませんでした。藩士なのかと思っていたのですが、米沢藩9代目の藩主だったんですね。 しかも、本人は九州は日向の高鍋藩6代藩主の次男として生まれ、母方の祖母が米沢藩4代藩主の娘だったことが縁で、10歳のときに米沢藩8代藩主重定の養子となります。そして、17歳のときに第9代米沢藩主に。 当時の米沢藩の財政は危機的な状況を呈しており、藩の財政改革が鷹山に託されました。期待されたとおり、若くして藩主となった上杉鷹山は次々と改革の手を打ちます。 しかしながら、米沢藩は藩祖を平安時代後期にまで遡れる名家。代々仕える重臣たちの中には、小藩の次男坊から養子にやってきた鷹山を軽くみる人たちもおり、改革に大反対し、鷹山に隠居を迫る者たちが出てきました。 詳細は省きますが、この反対勢力を排除することで、米沢藩はさらなる改革に突き進みます。その重要な改革の一つが、藩士たちへの収支の公開です。 それまでの改革で鷹山は、収支を明らかにした上で、予算制度を取り入れてきました。この反対勢力の騒動を経て、さらに一歩改革を進めて、収支を藩士たちに公開したのです。 ここで取り上げたいのは、会社の数字を社員にオープンにするかどうか、といったことではありません。 危機に際して、危機感をいかに共有するか。 これです。組織一丸となって危機を乗り切らなければならないとき、危機感が全員に共有されていなければなりません。上杉鷹山にとっての危機は、破綻しかけている藩財政でした。だから収支を藩士に公開したのでしょう。 組織が危機に見舞われたとき、どうやってメンバーと危機感を共有するか。大切で難しいテーマですね。

バトンパス

バトンパス

スズキを世界的な自動車メーカーに育て上げた鈴木修会長が先週、引退を表明しました。あとを長男の鈴木俊宏さんをはじめとする経営陣に託し、自らは相談役に退きます。 息子にバトンを渡したあとの潔さといえば、ジャパネットたかたの創業者である髙田明さんでしょう。社長の座を長男の高田旭人さんに譲ると同時に、会社から籍を完全に抜いてしまいました。社長退任のその日に、社内の自分の部屋を片付ける髙田明さんをテレビのドキュメンタリーで見たことがあります。 大塚家具は、経営権を創業者の父と娘で争い、ついにお父さんは会社から追い出されてしましたね。 中小企業でよく見かけるのが、社長の座を息子や娘に譲ったものの、父親が会長としてとどまり、経営にいちいち口を出すケース。「自分はこうしたいけど、会長はおそらく反対するだろうから…」という愚痴をどれだけ聞いたことか。たいていの場合、会長に反対されないよう中途半端な改革でお茶を濁して会社は迷走をつづけ、新社長が経営者として成長する機会は奪われます。 「まだまだ危なっかしくて任せてられない」なんて言うのなら、後継者育成の仕方が下手だったのか、バトンを渡すタイミングを間違えた自分を責めてはどうでしょう? せめて、意見を求めて相談されるまでは口を出さない、ぐらいの覚悟でバトンを渡しませんか?