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この状況、本当に悔しすぎるから・・・

この状況、本当に悔しすぎるから・・・

サンリオピューロランドの年間入場者数は、1991年の開園当時は195万人でしたが翌年から減り続け、2009年には半分近い109万人まで落ち込んでしまいました。ところが、2014年から126万人と回復に転じ、2018年には219万人の過去最高を記録したんです。 1991年 191万人1992年 134万人1993年 125万人1994年 112万人1995年 110万人 :2009年 109万人 :2014年 126万人2015年 158万人2016年 181万人2017年 198万人2018年 219万人 まさに「V字回復」なのですが、その起点となった2014年からサンリオピューロランドに関わり改革を指揮してきたのが現在の社長、小巻亜矢さんです。 その小巻社長も、この新型コロナの影響下では眠れない日が何度も何度もあるそうです。先日の「プロフェッショナル仕事の流儀」緊急企画のインタビューの中では、この状況で自分と同じ経営者さんたちへ贈るエールはないかと訊かれ、 と答えていました。 そしてさらに印象的だったのが、この状況におかれた経営者として「苦しい、悔しい、悲しい」という言葉で内面を表現していました。特に「本当に悔しい」という言葉を何度も使っていて、小巻さんの胸の内が伝わってきます。「本当に悔しい、もう本当に悔しい状況なんですけれども、本当に悔しすぎるので って本当に心からそう思う」んだそうです。 ただでは起きないために、あなたは何を準備しますか?

戦場を目の前にして

戦場を目の前にして

いま、世界は新型コロナウィルスとの戦いの真っ最中です。ウィルスの封じ込めという戦いはもとより、世界的な経済活動の停滞へと戦線は拡がっていて、中小・小規模事業の経営者もこの戦場のど真ん中に立たされています。 防衛庁防衛研究所や防衛大学校で戦史を教えていた歴史学者の小谷賢さんがこう言っています。 小谷さんは闇雲に戦場に突っ込めといっているのではありません。何が起きるかわからない、という状況は変わらないのであれば、何か自分から行動をを起こしたほうが主導権を握ることができる、と言っているんです。 この戦場からの撤退を決めるのもいいでしょう。でも、戦う、そして生き残る、を選んだのであれば、経営者として何かしなければなりません。それが、 分析する計画する計画を行動に移す の3つだと私は考えています。 あなたはこの戦場を目の前にして、どうしますか?

強大な敵を倒すために

強大な敵を倒すために

先日放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」の緊急特別企画、見ました? ラグビーの名将エディー・ジョーンズがインタビューに答えます。 Q.強大な敵に立ち向かうために重要なことは何でしょうか? この問に「良い戦略を立てることです」と答えます。そして、さらにこう続けます。 強大な敵を倒すという最終目標に到達するためには、良い戦略が重要で、短期的には日々の努力で勝利を重ねるしかない、と語っています。 日々の勝利を重ねていますか?

コロナのあとにやってくるもの

コロナのあとにやってくるもの

昨日、ある社長さんから「コロナが収束したあと世の中はどうなるのか、牧野さんはどう思います?」と聞かれました。 そこで頭に浮かんだのが 人生は習慣の織物と心得べし。 という言葉です。「傳家寳(でんかほう)」という書物に収められていると安岡正篤氏が紹介しています。「人間は習慣の奴隷」という言葉もあるようですね。 人間の体で一番カロリーを消費するのは頭なので、人間は頭を使うことを極力避ける動物のようで、習慣に流されて生きています。習慣に従っていれば、頭を使わなくてもいいからなのでしょう。 でも、GWやお盆、お正月といったまとまった休み明けになると、休み前とは生活習慣がちょっと変わっていたりとかいう経験ないですか?たとえば、朝の身支度の順序が変わったとか仕事場までの道順が変わったとか。 感染拡大防止のため在宅勤務が浸透し、テレワーク、リモートワークが一気に普及してきています。生活必需品の購入に際してもデリバリーの利用が増加しています。臨時休校でリモート授業の導入も加速しそうです。 世の中全体の生活スタイルが変化を強いられていますね。そして長期化しています。そうなると社会全体として習慣化されていき、ある日、「さあ、コロナが収束しました。みなさん以前のように生活していいですよ」と言われても、それ以前の生活を忘れてしまっているのではないかと考えています。 そのとき、どんな生活スタイルになっているのかはわかりません。でも今とは違った生活スタイルになっているのは間違いないと思います。 今とは違った世の中になっているかも。それを念頭において収束後に備えませんか?

あきらめかけたときに・・・

あきらめかけたときに・・・

56年前の東京オリンピックの年に開業した東海道新幹線。その新幹線の父とも呼ばれる島秀雄さんの言葉といわれています。島秀雄さんは機関車D51の主任設計者としても著名で、旧国鉄の十河総裁に請われて技師長に就任、新幹線計画を推進した人です。父親の島安次郎も鉄道技術者、弟の島文雄は国産旅客機YS-11の設計者、息子の島隆は新幹線の初代車両0系の設計者・台湾新幹線の推進者 という生粋の技術者一家です。新幹線開業の5年後にはJAXAの前身であるNASDA(宇宙開発事業団)の初代理事長に就任。日本の最先端を歩んだ技術者人生でした。 この言葉、本当に島秀雄さんのものなのか、ネット上を探しても出てこないんです。日本経済新聞の「私の履歴書」にも。 その昔、日テレの「知ってるつもり?!」という人物系のドキュメンタリー番組があって、島安次郎・秀雄父子を新幹線の父として2時間スペシャルで放送されたんです。その際のエンディングで司会の関口宏さんが島秀雄さんへのインタビュー映像とともに朗読したのが冒頭の言葉でした。 「最近の若い人はねぇ、すぐ『できない』って言うじゃないですか・・・」とその映像は始まりました。当時はまだ20代前半の若者で半人前のシステムエンジニアだった私にはその言葉がグサッときて、録画したVHSテープを何度も再生してこの言葉を書きとめ、いつも携帯していました。 苦境に立たされた時、あきらめずに突破口を探すため、この言葉を口にしてみてはどうでしょうか。