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差別化とは、ある意味、●●を切り捨てること

差別化とは、ある意味、●●を切り捨てること

沖縄は暑い日が続いてますね。でも日陰にいると海からの風で心地よく過ごせるのが沖縄のいいところです。 ペンションのオーナーさんから相談を受けたことがあります。メゾネットタイプでゆったりと過ごせ、広い芝生の庭があり、海に近くて昔の面影を多分に残す集落にあるというロケーションの良さがウリ、ということだそうです。うん、のんびり過ごせそうですね。グループやご家族連れにも向いてます。確かに、宿泊施設としては差別化が図れるかもしれません。 ところが、もう一つの差別化ポイントを聞くとちょっと話が違ってきます。それは、ペット同伴可、ということ。家族の一員であるペットと一緒に旅行したい、という方にとっては、ペットも一緒に泊まれる宿泊施設は少ないので、大変ありがたいことです。 ですが、ペットを飼っていない方や飼っていても家の外で飼っている方などの中には、たとえ掃除や消毒がきちんとされていてもペットが泊まったことがある部屋はイヤ、という方が出てきます。 これは、「絶対イヤ」というお客を切り捨ててしまう差別化です。差別化の一面もあるかもしれませんが、ターゲットを絞り込んだという側面が強いです。 ターゲットを絞り込むと、そのターゲットを狙う競合との差別化を考えなければなりません。このペンションオーナーさんの話が腑に落ちなかったのは、ターゲットを絞り込んたという認識がないままに差別化を図る話をされていたからなのだと思います。 他社・他店との差別化を狙った場合、こういうこともあるってことは覚えておいてください。 とはいえ「ペットと一緒でなきゃ困る」というお客には熱烈に支持される、という側面もあります。 こう考えると、商売っていうのは自分で選んだ道に「賭ける」ってことなのかもしれませんね。 あなたのご商売の差別化はどうですか?

手段の〇〇化は思考を●●化する

手段の〇〇化は思考を●●化する

みなさん、4連休はどうでしたか? 本来なら東京オリンピックが始まっていて、今日は4日目の競技が行われていたはずなんですよね。 さて、4連休の前日から「Go To トラベル」がスタートしました。 「Go To トラベル」は4月30日に成立した第1次補正予算で事業費が組まれました。 ところが委託費が巨額だとして批判を浴び、6月に入って委託先の公募がいったん中止しましたが、6月半ばに「Go To イート」など他の事業を切り離して「トラベル」だけを国土交通省が委託先公募を開始しました。この頃、赤羽国交大臣が「8月の早い段階で開始したい」と発言していましたが、7月に入ってから7月22日への開始の前倒しが決定しました。 その後の迷走ぶりはニュースでみなさんの記憶に新しいかと思います。21日の事業者向け説明会では、事業者からの質問に対して役人が「検討中です」と答えるばかりで、事業者からは「明日から始まるんですよ」と呆れられるシーンがニュースにもなりました。 「Go To トラベル」の目的は、新型コロナの影響で経済的にダメージを受けている観光・運輸事業者を支援する、ということだったはずです。 ですが、 ・業界からの悲鳴 ・需要をアテにしていたオリンピックの延期 ・観光・運輸業界を支持基盤にしている有力政治家 ・国土交通大臣は連立相手の指定席 ・事業の受託に動く政商と揶揄される企業 ・最近支持率を下げつつある政権 ・得意の経済で政権の浮揚を図りたいという思惑 ・国と東京都との確執 ・リーダーのメンツ といったものが複雑に絡み合い、手段であったはずの「Go To トラベル」を「7月22日に開始すること」が目的化してしまった、ということは考えられないでしょうか。 目的をきちんと再確認すれば、軌道修正もできたのではないかとおもうのですが、これだけの利害関係者がいて「手段の目的化」の集団感染が起きてしまうと思考も硬直化してしまったということも考えられます。 このメルマガでは、この「手段の目的化」を何度か取り上げてきましたが、目的を見失わず、目標に照らして手段の軌道修正を図る柔軟な思考を持ち続けたいものです。

コロナで浮き彫りになった宝くじ

コロナで浮き彫りになった宝くじ

今週の沖縄の天気予報は晴れマークが続いてますね。4連休が楽しみになってきました。 車関係のご商売をしている社長さん。 老朽化した工場を建て替えるための資金調達のご相談にのっていたところ、今週になって「牧野さん、今月からコロナの影響で出はじめて、売上が去年の1/3ぐらいになりそう!」なんていう連絡が入りました。 おじいさんが始めて40年以上経つ商売を昨年はじめに引き継いだ3代目。個人事業ではありますが、従業員さんを4人ほど雇用されている立派な若い社長さんです。 よくよく聞いてみると、商売を引き継いでから売上を伸ばそうと観光関係の取引先からの仕事を受け始めたんだそうです。これが見事に当たり、毎月の売上が2倍以上に伸びたのでこちらに注力してきたんだそうです。 新型コロナの影響で観光業界が受けたダメージが、7月に入ってからこの社長のご商売に影響を与え始めたということのようです。 この観光関係の取引先からの売上は当面戻ってこないでしょう。 そこで二人で話し合ったのは、こんなことでした。 コロナで失ったこの売上は1年間限定の宝くじみたいなもの。だから1年前に戻るだけ。でも、この売上のために本業ともいえる40年かけて培ってきたお客様のほうがおろそかになっていたので、離れていったお客様もいるかもしれない。その人たちをきちんとそして丁寧に取り返しに行こう。そして新しい地元のお客様をゆっくりと丁寧に掘り起こしていこう。その方が安定した事業基盤が築けるに違いない。 ご商売によってコロナの影響はさまざまですが、あなたの受けた影響はどんなものだったのか、もう一度冷静に見直してはどうですか?

経営者は何を残す?

経営者は何を残す?

一昨日は、もう4年ほど続けている月に一度の勉強会でした。勉強会よりもそのあとの懇親会の方を私は楽しみにしています。 その懇親会の席で「尊敬する経営者は誰か?」という話になりました。 この会のメンバーは沖縄県を代表するような企業の取締役や部長といった方々です。ご自分の会社の創業者や歴代の経営者の名前が挙がりました。そうした名前の中には、朝の連ドラにも登場した歴史上の人物や、全国組織の経営塾を開いておられるカリスマのような方もいらっしゃいます。そういう名前があがり始めると、本田宗一郎とか松下幸之助、スティーブ・ジョブズといった名前も出てきます。 このとき私がふと思ったのが「こういうときに豊田佐吉は出てこないよなぁ」 みなさん「豊田佐吉」って誰だかわかります? あのトヨタの創業者です。「とよださきち」と読みます。「とよた」ではなく「とよだ」です。 さらに、トヨタ自動車が織物の自動機械メーカーの自動車部から始まったということもあまりご存知ないようでした。 トヨタ自動車は豊田自動織機という会社の自動車部として産声を上げ、現在に至ります。現在でも豊田自動織機はトヨタ自動車の大株主(第2位)で、トヨタグループ各社の株式も保有している本家ともいえる企業です。 豊田佐吉は織機をはじめとした発明家で、経営は娘婿の豊田利三郎、息子の豊田喜一郎が担いましたが、この3人はあのトヨタの礎を築いていながら、本田宗一郎の知名度やカリスマ性とは比べものになりません。 これって、経営者が残したものの違いかも知れませんね。 それは、 との違いってことではないでしょうか。 名古屋にトヨタ産業技術記念館という博物館があるのをご存知でしょうか。とても大きな博物館で、ゆっくり見て回ると1日がかりになると思います。 ここでは、繊維と自動車という2つの産業の技術史を通して、「研究と創造の精神」と「モノづくり」の大切さを社会に伝えようとしています。 ガイドツアーもありますし、館内のあちこちにはスタッフの方々が配置されていて、質問するととても丁寧に教えていただけます。 この博物館のスタッフの方々は若い方が多く、そのほとんどがトヨタグループ各社からの出向なんだそうです。ここで豊田佐吉が残した「研究と創造の精神」と「モノづくり」の大切さを学び、それをアウトプットとして来館するお客様に伝え、そして数年後に各自のいたグループ企業へと伝道師として散っていく。 トヨタは創業者の精神や理念を引き継いでいこうとしているんだな、とこのとき理解しました。

近江商人の商売の心得十訓

近江商人の商売の心得十訓

今日は地元商工会で経営相談。「新型コロナウィルス感染症対策系相談窓口」が商工会に設置され、年内の毎週月・木の2日間、地元のみなさんの経営のご相談に応じています。あなたの街の商工会、商工会議所にも設置されていると思いますよ。 商売の王道、基本、といえば近江商人の心得「三方よし」が有名ですね。 売り手よし、買い手よし、世間よし。 簡潔明瞭で、永続する商売の秘訣としてとても奥深いものがあります。 近江商人といえばこの「三方よし」があまりにも有名ですが、近江商人には「商売の心得十訓」というものがあるのをご存知ですか? すごいですね。商売をしている方であれば、「これぞまさしく!」と響くものが一つはあるのではないでしょうか。 さすがは近江商人!と思うでしょうが、どうやら原典は松下幸之助さんだそうです。松下電器(現パナソニック)の創業以来、幸之助さんが従業員に話してきた商売の考え方を従業員さんがまとめて、昭和11年刊行のナショナル協力店向けの情報誌「松下電器連盟店経営資料」の創刊号と第2号に掲載されたもののようです。 じゃぁ、松下幸之助さんは近江(滋賀県)出身!と思いきや和歌山県のご出身で、9歳のときに大阪へ奉公に出て、23歳のときに起業し、松下電器産業へと成長していきました。 近江商人の心得十訓といわれて万人が納得してしまう内容が自らの経験から導き出したものだとは、さすが「経営の神様」ですね。